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阿武咲と弟は年が離れすぎている?父親と母親について調査!

大相撲界の若手の中でメキメキ実力をつけてきて大活躍中の阿武咲

21年9月場所には優勝のチャンスも巡ってきている阿武咲関には年の離れた弟さんがいます。

今回は阿武咲関の

・歳の離れた3人の弟たちは?

・阿武咲の父親と母親

・阿武咲の読み方と四股名の由来は?

・プロフィールや経歴

などなど、阿武咲関について気になる疑問をいろいろと調べてみました!

ではではいってみましょう〜☆

阿武咲と弟は年が離れすぎている?

阿武咲関は2021年9月現在、25歳です。

阿武咲関のご兄弟を調べてみたところ、弟さんは3人いて

豪(ごう)くん(5歳)

岳(がく)くん(3歳)

壮(しょう)くん(1歳)

とみんな20歳以上も離れています!驚

こんなに弟さんたちと歳が離れていると、やはり母親が違うのではないかと疑ってしまいますよね…。

たまにだいぶ歳が離れている兄弟で両親は同じという家庭もありますが、阿武咲関のご家族はどうなのでしょうか?

阿武咲関にはどうしてこんなに歳の離れている弟さんがいるのかを調査してみました☆

阿武咲の父親と母親

阿武咲関のご両親について調べてみました。

父親について

阿武咲関のお父様は打越正史さん(41歳)

現在24歳の阿武咲関はお父様が17歳の時のお子さんになります。驚

だいぶ早い時のお子さんなんですね!!

お父様のお写真を見るとだいぶヤンチャそうな雰囲気が漂っています。

そして阿武咲関がまだ幼い頃に離婚し、阿武咲は父親の正史さんに引き取られます。

父は仕事の関係で東京に出稼ぎに行っていたため、父方の祖父母に育てられました。

幼い頃の阿武咲関はおばあちゃん子だったようです。

小学生の時に東京で開かれた相撲大会に、阿武咲関が青森から道場の代表として出場することになりました。

その時に父親が相撲大会の応援に行ったところ、真剣なまなざしで相撲に打ち込む息子の姿に感動。

「青森に戻って、息子のそばにいたい!」と決意し、東京から青森へ戻りました。

その後、相撲経験のあった父は小学生の息子と一緒に、相撲道場に通い、共に稽古をしたり、トレーニングしたりと、相撲漬けの毎日を父子一緒に過ごしたそうです。

父から1週間で5kg増量することを命じられたり、腕立て伏せと縄跳びを1日に1000回やらされたりしましたが、父が若かったので父と競いながら稽古をしていました。

阿武咲関のお父様は若いお父さんなので、まるで歳の離れた兄弟のように一緒にトレーニングをして親子二人三脚で相撲に向き合えたのですね!

父は現在青森を離れ、阿武咲のいる阿武松部屋のある千葉県に住んで、息子の活躍を応援しているそうです。

相撲界は序ノ口から幕内まで約700人近くのお相撲さんがいて、その中で関取と呼ばれるお給料がもらえるお相撲さんは十両で28人、幕内で42人です。

その数なんと総数の約10%なのです。

そんな世界で自分の息子が活躍しているとなったら応援せずにはいられませんね!

阿武咲関はとても親孝行ですね♪

お父様も阿武咲関の活躍をさぞかし喜んでいることと思います。

母親について

阿武咲関のお母様について調べてみたところ、お母様の情報ありませんでした。

阿武咲関が幼い頃にご両親が離婚されていることから現在の母親は再婚された継母であると考えられます。

なので20歳以上も歳の離れた弟たちがいるのではないかと思います。

ちなみに阿武咲関は弟さんをとても可愛がっている様子。

年が離れているせいか、阿武咲関がお父さんのように見えますね♪

お相撲さんと赤ちゃんという組み合わせは個人的に素敵だなぁと思います。

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阿武咲の読み方と由来

阿武咲関を調べているとやはり一番最初に出てくる疑問が

・読み方は?

・なんて読むの?

という疑問です。

正解は

おうのしょう

と読みます。

今でこそ予測変換で出てくるようになりましたが、少し前まで一発で変換されず入力にてこずっていました(笑)

あむさき?あぶさき?

この文字だけをみたら四股名とは思わず、女優さんのお名前にも見えますね。笑

この四股名の由来は師匠の阿武松(おうのまつ)親方から

「阿武」をもらいました。

そして地元の恩師の中泊道場監督の小山内誠さんの

「土俵の上で花が咲くように」

という願いが込められて「咲」という字が付けられています。

理由を知り、読み方がわかるととても素敵な四股名だなぁと思います。

土俵で花を咲かせる力士になってほしいです!

阿武咲が相撲を始めたきっかけは?

阿武咲関は5歳の時、祖父の勧めで地元の中泊道場に通いはじめます。

その姿を見た中泊道場の小山内監督が「小学生だと思った」と勘違いするほどの体格と、持ち前の運動神経ですぐに頭角を現しました。

同年代との稽古では阿武咲関が前に出るだけで勝ってしまい相手にならず、年が2つも3つも上の小学生に胸を借りていました。

阿武咲関は雪国生まれなのでウインタースポーツも得意で、スキーやスノーボードはかなりの腕前だそうです。

もともとの運動神経がとても良いんですね!

青森県といえば先輩の元舞の海さんは阿武咲関の事を

「子供の頃はやんちゃだった」

と言っています。

お父様譲りのヤンチャさなのでしょうか。笑

血は争えないといいますね。

でも、お相撲をやって行くにあたってはそのヤンチャさや負けず嫌いがないと強くならないと思うのでお父様譲りのヤンチャさが阿武咲関の魅力でもあるとわたしは思います。

そして阿武咲関の通っていた中泊道場は10学年先輩に宝富士関がいます。

阿武咲関が初土俵から28場所目で初対戦となった宝富士関は、子供の頃からの憧れでした。

阿武咲関が中里小1年生の時に宝富士は五所川原商高2年生

「稽古をつけてもらっても、壁というイメージしかなかった」

とインタビューで答えています。

初めて宝富士相手に白星をあげた時に宝富士関は

「今ごろ町では宝富士は終わった、やっぱり阿武咲だななんて言われているのかな」

と弱気発言。

花のロクイチ組のベテラン力士としてまだまだ若手の壁になっていただいて、活躍していただきたいと思います!

また、宝富士関と同じ近大相撲部で同学年の徳勝龍関は、宝富士関が故郷の青森に帰省した時に同行し、そこで少年時代の阿武咲に稽古をつけてくれました。

阿武咲関は德勝龍関のことを

「大好きな先輩・德勝龍。小さい頃から、お兄ちゃんのような存在だった」

と語っています。

徳勝龍関と阿武咲関はとても仲が良く、場所後に行われたトークショーで共演をされています。

德勝龍関を破って勝ち越しを決めて恩返しをした翌日、支度部屋で德勝龍関に会った阿武咲関は

おかげさんで勝ち越しました」

と礼を言ったのですが、

「いやいやその相手おれだから(笑)」

とトークショーで阿武咲関ににツッコミを入れていました。

そんな德勝龍関に対し阿武咲関も負けじと

「でも対戦の時に德勝龍関が顔を張ってくる」

と苦言を。

10個も学年が離れているのにもかかわらず終始和やかムードで楽しいトークショーでした。

お相撲さんてちょっとこわいイメージがあるのですが、プライベートでは結構面白い方が多いんですよ♪

ジャンクスポーツなどで時々お相撲さんが出演されていますが、もっと機会を増やしていただけたらお相撲ファンが増えるのになぁと思います。

土俵上での厳しい姿と、プライベートのにこやかな笑顔のギャップが良いんですよね!

阿武咲の経歴

阿武咲関の略歴をみていきましょう。

5歳から中泊道場の小山内監督の厳しい指導の下で鍛錬を重ね、中里小学校6年生の時に全日本小学生相撲優勝大会で優勝します。

そして中泊町立中里中学校進学後は2年生と3年生の時に全国都道府県中学生相撲選手権大会の無差別級で、大会史上初の2連覇を達成。

中学卒業後は三本木農業高校に進学します。

1年生ながら全国高校相撲宇佐大会国体相撲少年の部で優勝します。

また団体戦でも選抜高校相撲十和田大会優勝に貢献するなど、実力を発揮して自信を深めたため、高校卒業を待たずに相撲界に進むことを決め、高校を11月に退学。

中泊道場の小山内監督と大学の同期だった阿武松部屋所属の元十両・古市さんの縁で稽古の交流などもあった阿武松部屋に入門を決めます。

入門した理由として

「あえて厳しい部屋を選びました。力士でいられるのは長くても20年。その時間を濃いものにしたいんです」

とインタビューで語っていました。

あえて厳しい環境に身を置くことによって成長したいという思いがあったのですね。

阿武咲関は若いのに勝利インタビューなどの受け答えがとてもしっかりしていて好感の持てる力士だったのですが、こうした思いを持って土俵に上がり続けているのですね。

初土俵は2013年の初場所。

順調に勝ち越しを続けた阿武咲関はどんどん番付を上げてゆき、2014年の九州場所で勝ち越し、翌年2015年の初場所で新十両となります。

18歳5ヶ月20日(番付発表時)は昭和以降で10番目に若いスピード出世。

関取昇進後は2場所目の2015年の3月場所で入門以来初の負け越しを経験。

2年以上もずっと勝ち越しを続けるのはとても凄い事です。

その後怪我などもあり、幕下に転落するも1場所で関取復帰をし、2017年の3月場所では

西十両2枚目で9勝6敗の成績を残し、5月場所で新入幕を果たします。

同年11月場所では新小結(西小結)に昇進。

21歳3ヶ月での新三役昇進は、平成以降初土俵の力士としては6番目の年少記録でした。

2018年は怪我もあり十両に陥落してしまいますが、十両優勝をして1場所で幕内に戻ります。

それからは現在まで幕内で取っており、実力は折り紙付きです。

2020年7月場所では初日から連敗が続き13連敗で14日目にやっと白星を掴み、15日目の千秋楽も勝って2連勝をし、2勝13敗で終えました。

取材に対し、

「本当に苦しかったし長かったけど、白星が出て良かった」

「そういうときに腐っているようじゃまだまだ。自分を貫こうと思って我慢してやっていた」

引用元:日刊スポーツ

と答えています。

初日から14連敗なら13年名古屋場所の大道以来でしたが気迫で連敗を止めました。

NHKのテレビ解説で北の富士さんが

「大丈夫。あと2日か。全敗は全勝するより難しいからね」

と阿武咲関にエールを。

強い阿武咲関がここまで連敗をすることはいまだかつてなかったことなので、精神的にも辛かったのではないかと思います。

関取は15日間、勝負の世界に身を置いて毎日毎日戦っていると思うと頭が上がりません。

若いうちからプレッシャーの中で相手や自分自身と戦ってきているので、年齢よりも大人びて見えるのはそういったことがあるからなのだと思います。

そんな中でも腐らず毎日土俵に立ち続け真っ向勝負で相手に向かって行く阿武咲関は潔くて素敵でした。

来場所また、真っ直ぐにぶつかって行く元気な阿武咲関のお相撲がみたいですね☆

阿武咲のプロフィール

【profile】

◆四股名◆  阿武咲 (おうのしょう)

◆本名◆  打越奎也 (うてつ ふみや)

◆生年月日◆ 1996年 7月 4日

◆出身◆ 青森県北津軽郡中泊町 

◆血液型◆  O型

◆サイズ◆  身長176cm /体重163kg

◆所属部屋◆ 阿武松部屋

◆趣味◆  格闘技観戦、ドラマ観賞

◆初土俵◆  2013年1月場所

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阿武咲のまとめ

今回は鋭い立ち合いが持ち味の阿武咲関について気になることを調べてみました。

歳の離れた3人の弟さんは、父親が再婚をしてから生まれた弟さんたちであることがわかりました。

阿武咲関の父親は17歳の時に阿武咲関の父親になったので、現在も40代前半でした。

息子たちが4人もいて、それぞれかわいくて仕方ないことでしょう!

阿武咲関はこれからがまだまだ楽しみな若手力士です!

最後までお読みいただきありがとうございました☆

Zacks
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