大相撲界でいぶし銀の存在感を持ち、相撲玄人に大人気の妙義龍関。
ベテラン力士の妙義龍関が現在結婚されているのか?またお子さんはいらっしゃるかなどについて気になりました!
今回はそんな妙義龍関のプライベートについて
・妙義龍に嫁はいる?妻との馴れ初めは?
・子供は息子で何人?
・妙義龍のプロフィールや体脂肪率!
・妙義龍の父は?
などなど、気になったことを色々と調べてみました♪
それではさっそくいってみましょう〜☆
妙義龍は結婚して嫁がいる?
妙義龍関はご結婚されています。
妙義龍関が31歳の時の2017年9月29日にご結婚を発表されました!
お嫁さんである、お相手の香奈さん(旧姓:山根)はなんと妙義龍関の埼玉栄高校の同級生でした。
出会いは高校1年生、香奈さんが妙義龍関の隣の席だったことがきっかけ。
「いろいろとしゃべっているうちに。同じクラスメートで気になる存在だった」
と、妙義龍関は当時を振り返ります。
しかし当時の埼玉栄高校相撲部は恋愛禁止だったので交際には発展せず。
さらに携帯電話を持つことも禁止されていて、妙義龍関は地元である兵庫県から相撲留学をしていたため、寮で生活。
香奈さんと妙義龍関は学校で会った時にだけ会話する日々が続きました。
そして高校卒業後は香奈さんも妙義龍関もそれぞれが大学に進学し、たまに連絡は取りあっていたもののこの時も交際に発展はしませんでした。
そして2011年、2場所連続で十両優勝をした秋場所後に妙義龍関は香奈さんを食事に誘いました。
香奈さんは相撲に関心は薄かったのですが、熱心に相撲についての話をする妙義龍関に対し
「ルックスというよりは、話してる感じが格好いいというか。夢に向かって努力している姿にひかれました」
とインタビューに答えています。
そして二人はついに交際に発展。
その後、妙義龍関は2014年に網膜剥離の手術を受けたり、また度重なる怪我で苦しんでいた時も香奈さんに支えてもらい
「一緒にいてこの人だと思った」
と、妙義龍関から香奈さんにプロポーズ。
妙義龍関は高校時代から15年越しの恋を実らせました☆
妙義龍関ってお相撲さんの中でも特に『漢』という雰囲気の強い関取なので、ご結婚を発表された時にとっても驚きました!
また、お相手が高校の同級生でクラスメートだったという素敵な組み合わせ☆
いぶし銀の魅力がある妙義龍関は好角家の好感度がますますアップしたに違いないと思います!
妙義龍の子供は息子で何人?
そんな素敵な方とご結婚された妙義龍関ですが、結婚と同時に息子さんの誕生も併せて発表されていました。
息子さんのお名前は泰吉(やすきち)くん!
妙義龍関の本名は宮本泰成なのでお名前の『泰』の一文字をもらったのですね。
『泰吉くん』というお名前は素敵なお名前だと思いました
お二人が婚姻届を提出されたのが2017年6月1日で長男・泰吉くんの誕生は6月17日でした。
現在公表されている情報ですとお子さんは1人となっていますが、2人目が生まれた?というウワサもちらほらと聞かれていますのでまた新たな情報が入り次第追記していこうと思います♪
妙義龍関はご結婚されてお子さんも授かり家族という守るべき存在ができたので、これからますますの活躍が期待されます!
こちらも読まれています>>
妙義龍のプロフィール
この投稿をInstagramで見る
【profile】
◆四股名◆ 妙義龍 泰成 (みょうぎりゅう やすなり)
◆本名◆ 宮本 泰成 (みやもと やすなり)
◆生年月日◆ 1986年 10月22日
◆出身◆ 兵庫県高砂市
◆血液型◆ A型
◆サイズ◆ 身長186cm 体重155kg
◆所属部屋◆ 境川部屋
◆得意技◆ 押し・右四つ・寄り
◆初土俵◆ 2009年5月場所
◆新入幕◆ 2011年11月場所
◆趣味◆ 釣り
各界での同級生はスターが多く、妙義龍関も昭和61年度生まれの花のロクイチ組の一人。
花のロクイチ組…稀勢の里、豪栄道、勢、栃煌山、魁聖、宝富士、徳勝龍、北播磨、碧山、臥牙丸、荒鷲など。
ちなみに豪栄道とは高校の同級生であり、所属部屋も同じ境川部屋です。
2004年の高校総体の個人戦では元大関の豪栄道が優勝、そして妙義龍関が準優勝という記録もあります。
同じ高校で同じ相撲部員の妙義龍関と豪栄道(現・武隈親方)は当時から仲が良かったのですかね?
詳しいことがわかり次第また追記していきます☆
妙義龍の体脂肪率
妙義龍関は以前、伊右衛門特茶(サントリー)のCMに出ていました。
その時の妙義龍関の体脂肪率はなんと22%。
お相撲さんはぶつかり合った時の衝撃を吸収するために身体に脂肪を蓄えていますが、妙義龍関はお相撲さんの中でも筋肉質な身体です。
パッとみた感じは体脂肪率が22%しかないようには見えませんが、よーくみると引き締まったムキムキボディなんです☆
引き締まったふくらはぎや、プリッとしたお尻のファンが多い妙義龍関なのです♪
妙義龍の父は?
妙義龍関を調べていると『父』というキーワードが出てきます。
調べてみたところ、妙義龍関が相撲界に入ることとなったたきっかけはどうやらお父さんでした。
妙義龍関のお父様は、自動車の板金塗装を営んでいらっしゃいます。
小さな頃から活発な子供だった妙義龍関は同年代の子たちが補助輪をつけて自転車に乗っている中、ひとり補助輪なしで自転車を乗り回していました。
そんな姿を見たご両親は妙義龍関を競輪選手にしようと考えていたそうです。
妙義龍関は子供の頃からそろばん、お習字、水泳、体操、柔道などなど多くの習い事を経験。
お相撲に出会ったのは妙義龍関が小学校2年生の時。
近所の神社で行われたお祭りの相撲大会で優勝し、1対1の勝負に勝つことの楽しさを知った妙義龍関は兵庫県姫路市の広畑少年相撲教室に通うように。
この相撲教室には同級生の北播磨もいました!
その当時の相撲教室でやっていたことは追いかけっこのような遊びが主体でした。
1年後、またお祭りで相撲大会に出場しますが決勝で負けてしまい、その悔しさから妙義龍関は相撲に打ち込むようになりました。
中学校3年生の時に兵庫県大会で2位の実績を挙げたことで全国中学校体育大会(全中)への出場を果たした一方で陸上部に籍を置いて円盤投げや砲丸投げにも取り組んでいました。
ただ、この頃の妙義龍関は相撲教室に2ヶ月に1回しか通っていませんでした。
完全に相撲に対する興味が薄れていて、現在も妙義龍関の趣味である釣りを楽しんだりゲームセンターで遊んでいたりしていました。
そしてこの頃は妙義龍関は不良グループに入っていて、髪を茶髪にしたり、深夜まで学生服を着て遊んでいたり、時には喧嘩もしていたりと何か問題を起こしたりすると決まって必ず父親から痛いお仕置きを受けていたそうです。
なんとお父様は若かりし頃ラグビーをやられていたそうで、妙義龍関にとってお父様はとても怖かったんですって!
そんなコワイお父さんから妙義龍関は
子供の頃から頑張ってきた相撲について、
『もっと本気でやってみないか』
と、真面目に妙義龍関の将来について話し合いがもたれました。
その後、妙義龍関は相撲をもう少し頑張ってみようと改心し、友達と遊んでいてもそのあとは相撲の練習に行くようになりメキメキ強くなっていきました。
中学3年生の頃、全国中学校体育大会(全中)に出場した時に埼玉栄高校の相撲部監督である山田監督に見学を勧められ、その縁で妙義龍関は埼玉栄高校に進学しました。
妙義龍関が高校の寮がある埼玉まで、のちの豪栄道である澤井豪太郎と同じ新幹線で共に向かったんだそうです。
中学生で親元を離れ寮生活をされていたのですね!
その頃に自ら選んだ道で今も現役で邁進されている姿は見る者に感動を与えますね。
妙義龍関はもうベテランの域に入っていますがまだまだこれからも活躍が期待される力士です☆
妙義龍のまとめ
今回は妙義龍関の結婚や嫁、子供である息子さんやプロフィールなどを調べてみました!
妙義龍関は中学時代にヤンチャだったことを知り驚いています。
妙義龍関はまだまだこれから長くお相撲を取って欲しい関取の一人で、妙義龍関にとって家族の存在はお相撲をやる上でのモチベーションの一つになっていることと思われます。
妙義龍関のこれからがまだまだ楽しみです♪
最後までお読みいただきありがとうございました☆