朝乃山の出身高校・大学を調査!!大関昇進の口上は?

はい、どーも!

お相撲大好きスー女のアラフォー独女ナナです。

スー女って言っていいかわからない微妙なお年頃です。笑

今回は新大関となった大関・朝乃山についていろいろ調査してみました!!

朝乃山の出身高校・大学、相撲をはじめたきっかけや四股名の由来、大関昇進時の口上など

気になることをいろいろ調べました。

ではいってみましょう〜☆

朝乃山の出身高校は?

朝乃山関の出身高校は富山県立富山商業高等学校で、富山県出身の朝乃山関は地元の県立高校出身です。

富山商業高等学校は1897年開校の歴史ある高校で、全員入部制を取っており部活動の盛んな高校で硬式野球部や、陸上競技部、バスケットボール部は全国大会の常連校です。

やはりどこの県にも運動部に特化している強豪校ってあるんですね。

わたしの地元にもありました。

その高校は私立高校だったので県内からはもちろん、全国から推薦入学で強い子たちが集まる学校でした!

朝乃山関は中学校3年生の時に全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場。

この大会で腕をきめられて左肘を骨折してしまい、その怪我が原因でもう相撲は辞めようと思っていた時に富山商業の相撲部監督の浦山英樹先生

富商に来い。俺が強くしてやる」

と声をかけられました。

なんと素敵なセリフ!!

これは男子も惚れてまうやろ〜なセリフです!

そんな素敵な言葉をかけられた朝乃山関はそれから中学卒業まで、週末になると富山商で高校生と一緒に稽古をして時間の経過とともに入学を決意し、同校に進学することとなりました。

先生と一緒に稽古をする中で得られるものが多かったんでしょうね。

人との出会いやご縁はどこにあるかわからないものですが、朝乃山関が現在の様に相撲界で活躍するためには避けて通れない出会いだったと思います。

高校入学時の朝乃山関は身長183cm、体重100kgで相撲部員としてはひょろひょろであった朝乃山関を浦山先生は陰で

「かかし」と呼んでいました。

そんな朝乃山関は浦山先生の指導のもとで稽古は長ければ1日5時間、高校3年間はとてもキツかったそうですが主将も任されて仲間と一丸となり頑張りました。

貴重な青春時代の3年間をスポーツに打ち込み頑張って努力してきた経験は人生の中で必ず活きていますね。

高校3年生の時には選抜高校相撲十和田大会準優勝という実績を残しました。

なんと、その時の決勝の対戦相手は現在の逸ノ城である、鳥取城北高校2年生のイチンノロブ君でした。

今では2人ともプロである大相撲界で土俵を賑わす人気力士です。

逸ノ城はその後社会人生活を経て湊部屋に入門をし、朝乃山関は大学へ進学します。

朝乃山の出身大学は?

朝乃山関の出身大学は名だたる関取・横綱を輩出している名門大学の

近畿大学です。

近畿大学といえばマグロの完全養殖に成功した「近大マグロ」でも有名ですね。

朝乃山関は在学時、国体成年の部4位、全日本相撲選手権大会ベスト4の実績を残し

2015年5月に創設されたばかりの三段目付出資格を取得、そして三段目付出入門は2016年1月28日に日本相撲協会の理事会で承認され、同制度の初適用第1号となったのです。

ちなみにこの資格を持たない人は入門後、番付に載るために前相撲から初めて、序ノ口、序二段、そして三段目と勝ち越して番付を上げていかなければなりません。

朝乃山関は相撲界のエリートなのです☆

朝乃山のプロフィール

【profile】

◆名前◆ 朝乃山 英樹 (あさのやま ひでき)

◆本名◆ 石橋 広暉 (いしばし ひろき)

◆生年月日◆ 1994年 3月 1日

◆出身◆  富山県富山市

◆血液型◆  A型

◆サイズ◆  身長188cm 体重172kg

◆所属部屋◆ 高砂部屋

◆愛称◆ イシバシ、バッシー、富山の人間山脈

◆得意技◆ 右四つ、寄り、上手投げ

富山県の皆さんに愛されている朝乃山関です☆

朝乃山が相撲をはじめたきっかけ

朝乃山関が相撲をはじめたきっかけは小学4年生の時に出身小学校の先生に相撲の大会に誘われたことでした。

誘われた数日後に地元で行われた地区大会に出場したことで朝乃山関の相撲人生がはじまります。

ハンドボールも相撲と並行して小学4年生の頃から3年間行っていて富山県の強化選手に選ばれるほどの実績を残しています。

ハンドボールで実績を残していた朝乃山関が相撲を始めると聞いた時、両親は遊び半分だと思っていたそうです。

母校の呉羽小学校のグラウンドの一角には土俵があり、その土俵の名前は

「太刀山(たちやま)道場」

といいます。

太刀山とは富山県出身の横綱です。

朝乃山関は、もしその太刀山ゆかりの土俵がなかったら

「(相撲を)やってなかったかな。相撲部もなかったんじゃないですか。横綱がいたからこそ、土俵ができたと思う」

と答えています。

朝乃山関は元々相撲をやれる素晴らしい環境に生まれていたのですね!

これはもう宿命ですね。

全ては必然であり偶然は一つもないのでしょう。

中学校進学後はハンドボール部の厳しい練習に耐えられずに退部。その後、相撲部へ入部することになります。

相撲部の練習はハンドボール部の練習より厳しかったのですが、退部を切り出す機会が無いまま稽古に励みました。

退部を切り出せなかった朝乃山関、なんかかわいいですね。

朝乃山関がお相撲をやる様に、何か見えない大きなチカラが働いてるのではないかと勘繰ってしまいます。笑

朝乃山の家族

朝乃山関の家族についても調べてみました。

朝乃山関のご家族は父、母、兄、弟の5人家族で、3人兄弟の真ん中でおおらかにのびのびと育ちました。

運動神経は3兄弟の中では一番良かった朝乃山関。

生まれた時の体重は3678gの大きな赤ちゃんで性格は明るく、幼少期は保育園に行くのが何よりの楽しみな少年でした。

やはり持って生まれた身体に恵まれていたんですね!

朝乃山関を知れば知るほどお相撲をやるために生まれてきたのではないか?と思わずにいられません!

朝乃山の四股名

入門時からは本名の石橋で相撲を取っていましたが、2017年の初場所に幕下全勝優勝を果たし三月の大阪場所での新十両昇進を決めたタイミングで

朝乃山英樹と四股名を改めました。

部屋伝統の「朝」の字に、故郷の富山恩師浦山先生

同郷の大先輩である第22代横綱・太刀山に肖った「山」の字を四股名に含めました。

高校時代の恩師である浦山英樹先生は朝乃山関が幕下全勝優勝を決め、新十両昇進を確実にした翌日にがんのため40歳で死去されてしまいます。

13日目の全勝優勝のかかる7番相撲の時、病状が思わしくなく、病床で目を開けるのがやっとの状態でした。

それでも同監督夫人の「もうすぐ石橋だよ」の声に、目を見開いてテレビに映る教え子の姿をまぶたに焼き付け、穏やかな顔をしたそうです。

自分と同じ富山商から近大へと歩んだ教え子の活躍を見届けての旅立ちとなりました。

四股名の下の名前を浦山先生の英樹にすると葬儀の日に高校の先輩と決めました。

また、浦山先生が亡くなる直前に朝乃山関に書いた手紙があり、葬儀の日に同監督夫人に手渡されたその手紙には震える字で

お前はよく相撲を頑張っている。俺の誇りだ。

横綱になれるのは一握りだが、その一握りになれる可能性がおまえにはある。

富山のスーパースターになりなさい。」

と書いてありました。

朝乃山関はその手紙と数珠を巾着に入れてお守りとして肌身離さず大切にして持ち歩いているそうです。

浦山先生の思いを胸に朝乃山関は土俵で頑張っているのですね!!

朝乃山の幕内優勝

朝乃山は順調に番付を駆け上がり十両は3場所で通過し2019年5月場所では、平幕で幕内最高優勝を果たします。

富山県からは大正5年夏場所の横綱・太刀山以来103年ぶりで三役経験のない力士の優勝は昭和36年夏場所の佐田の山以来58年ぶりとなる快挙となりました。

また、さらにこれが令和初の幕内最高優勝で、来日していたドナルド・トランプ大統領から

「アメリカ合衆国大統領杯」

を授与され初代受賞者となりました。

朝乃山関は間違いなく持ってる男といえますね☆

トランプさんが来た日は物々しい警備で国技館に入るのにすごい列になっていました。

朝乃山の大関昇進時の口上

朝乃山関はそれからまたさらに番付を上げてゆき2020年の3月・大阪場所にて11勝4敗の成績を上げ、大関昇進の目安である3場所33勝には

1つ届かない32勝という成績ながらも取り口が安定していることが評価され、大関昇進の臨時理事会が開かれ大関昇進が決まりました。

富山県出身の大関は、1909年に大関に昇進しのちに横綱になった太刀山以来、111年ぶりの大関誕生です。

また三段目付出デビューから大関昇進までの所要場所数が25場所は歴代1位で、学生相撲出身者では琴光喜以来13年ぶりの大関昇進となりました。

朝乃山関は大きな身体で自分の型を持っている力士なので、強いんです!

気持ちが優しい面があり負けてしまうこともあるのですが、場所を重ねるにつれ精神的にも強くなられ、ますます大関のさらに上の番付への期待も高まっています。

2020年3月25日に朝乃山関の大関昇進伝達式が高砂部屋にて行われました。

朝乃山関の口上は

「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、

力士として正義を全うし、一生懸命努力します」

でした。

母校・富山商高の教育目標は

「生涯に渡って愛と正義の理想を追求するより高い人格の育成」

であり正義というこの2つの言葉に、右四つをたたき込まれた浦山先生への感謝の思いを詰め込みました。

また一生懸命という言葉は高砂部屋の師匠である高砂親方がぴったり37年前の大関昇進の口上で

「大関の名に恥じぬよう、これからも一生懸命頑張ります。」

と述べており、そのことは朝乃山関は知らなかったそうです。

もともと「一生懸命」はサインを求められた際に書き添える好きな言葉であり素敵な偶然の一致となりました。

高砂親方もきっと嬉しかったことでしょう。

朝乃山のまとめ

新大関で迎える初めての場所がコロナウィルスの影響で中止となってしまった朝乃山関ですが

これからも恩師・浦山先生の思いを胸に

富山のスーパースターとして最高位である横綱を目指して頑張って欲しいと思います。

まだまだこれからの朝乃山関の活躍が楽しみですね♪

最後までお読みいただきありがとうございました☆

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