日本ハムファイターズに2020年ドラフト2位で入団した俊足の外野手、五十幡亮汰選手。
その五十幡選手は幼い頃に母親を亡くしているのです。
今回は五十幡選手について
・五十幡選手の母親の病名は?
・プロフィールや経歴
・五十幡選手とサニブラウン選手
などなど、五十幡選手についての疑問を調べてみました!
目次
五十幡亮汰の母親の病名は?
五十幡亮汰選手の母親は五十幡選手が小学生の頃に他界されています。
お母さんのお名前は五十幡恵子さん。
母親の病気が発覚したのは五十幡選手が小学校に上がる少し前のこと。
体調を崩してしまい病院で診察を受けたお母さんの検査の結果は腎臓癌でした。
お母さんは腎臓の摘出手術もしましたが病状は思わしくなく、五十幡選手が小学校2年生の頃にまたがんが再発してしまいます。
入退院を繰り返す生活の中でもお母さんは一切弱音も吐かず、治療を頑張っていました。
2007年、五十幡選手が小学校3年生の時に五十幡選手の姉のエレクトーンの発表会がありました。
お母さんはエレクトーンの発表会に出る娘の髪の毛をセットしてあげて、体調があまりよくなかったので、家で五十幡選手と留守番をすることになりました。
お母さんと一緒に留守番の五十幡選手はいつのまにか母の隣で眠ってしまい、お母さんは発表会の娘のエレクトーンの音色を電話越しに聴き、眠る五十幡選手の隣で静かに息を引き取ったのです。
その時五十幡選手のお母さんはまだ38歳という若さでした。
五十幡選手は8歳でお母さんと別れることとなってしまったのです。
8歳といえばまだまだ母親に甘えたい時期なので、母を失った五十幡選手の悲しみははかり知れません。
五十幡選手は小学校1年生から少年野球を始め、その頃から『プロ野球選手になりたい』と言っていました。
お母さんは五十幡選手が野球を頑張る姿を見るのが大好きで、五十幡亮汰選手が試合の時にヒットを打つたびに大喜びをし声援を送っていました。
お母さんを失ってしまった悲しみで何も手につかなくなっていた五十幡選手。
そんな五十幡選手はお母さんの別れから3日後に母の残した手紙をみつけます。
その手紙には
『お母さんは野球をしている亮汰が大好きです。頑張ってプロ野球選手になってください。』
と、書かれてありました。
五十幡選手が野球を頑張っている姿を見るのが大好きだったお母さんは、五十幡選手に手紙を残していたのです。
その手紙をみてプロ野球選手になるという夢を思い出し、夢を叶えるために五十幡選手は頑張りました。
そして現在、お母さんとの約束を果たし日本ハムファイターズでプロ野球選手となったのです。
五十幡選手のプロ初ヒットと2盗塁はなんと2021年5月9日の母の日でした。
陸上の世界を蹴って、8歳で天国に行ってしまったお母さんとのプロ野球選手になる約束を果たす為に、野球の道へ。そしてプロになり、母の日にプロ初ヒット、盗塁2つ。最高過ぎる。
頑張れ五十幡亮汰⚾️#lovefighters pic.twitter.com/HHlIR6sCtD— 怪盗ザ・デッドボール (怪盗銀次郎)😈 (@thedeadball) May 9, 2021
母の日に、ってところが何かの縁を感じますね。頑張れ五十幡亮汰!!👏#Lovefighters #五十幡亮汰
— pioggia@01karat (@pioggia__) May 9, 2021
天国のお母さんも本当に喜んでいらっしゃることでしょう。
これからの五十幡選手の活躍が楽しみです!
五十幡亮汰のプロフィール
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【profile】
◆名前◆ 五十幡 亮汰(いそばた りょうた)
◆生年月日◆ 1998年 11月 27日
◆出身◆ 埼玉県行田市
◆血液型◆ B型
◆サイズ◆ 身長172cm/体重64kg
◆所属チーム◆ 日本ハムファイターズ(2021年〜)
◆ポジション◆ 外野手
◆投球・打席◆ 右投・左打
◆背番号◆ No.50
◆出身高校◆ 佐野日本大学高等学校(栃木県)
◆プロ入り◆ 2020年ドラフト2位
◆初出場◆ 2021年5月7日
◆年俸◆ 1,100万円(2021年)
五十幡亮汰の経歴とサニブラウン
ここからは五十幡選手の経歴をみていきたいと思います。
五十幡選手の経歴
五十幡選手は小学校1年生の時に地元の行田東フェニックスで軟式野球を始めます。
小学校6年生の時には東京ヤクルトスワローズジュニアでプレー。
中学校では野球に役立つとの理由から部活は陸上部に所属し、野球は硬式野球のクラブチームである東京神宮リトルシニアに所属していました。
五十幡選手は中学3年生の頃に日本代表としてWBSC U-15ワールドカップに出場をしています。
五十幡選手は足がとても速く、部活である陸上競技での成績がとてもすごいんです!
五十幡選手とサニブラウン
五十幡選手は短距離走がとても得意で、中学校3年生の夏の全国大会(全日本中学校陸上競技選手権大会)では100m走と200m走に出場します。
なんとその時に決勝で一緒に走った相手は短距離走で有名なあのサニブラウン・アブデル・ハキーム選手。
五十幡選手は100m走も200m走もサニブラウン選手に勝ち、どちらも優勝しているのです。
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そのことから五十幡選手はメディアで『サニブラウンに勝った男』と称される事が多くあります。
五十幡選手は全国大会で100m走と200m走の2冠を達成したことにより全国の陸上競技部の名門高校からスカウトが。
そして中学の陸上部の顧問からも陸上での高校進学を勧められました。
五十幡選手の高校と大学
しかし五十幡選手はお母さんとの約束であった『プロ野球選手になる』という夢のために陸上競技の高校ではなく野球の名門校である佐野日大に進みます。
高校では1年生の夏に県予選で外野のレギュラーで出場しましたが、決勝で作新学院に敗れ夏の甲子園出場を逃してしまいました。
佐野日大に在学中は甲子園出場はなく、高校3年生だった時には五十幡選手は野球に対して伸び悩み、自信を失ってしまっていました。
しかしそんな時に父親から母が残してくれた最後の手紙を渡されます。
その手紙を読んだ五十幡選手は母との約束を思い出し、また改めて頑張ろうと思ったのでした。
その後、五十幡選手は中央大学に進み、大学1年生の春から外野のレギュラーに定着。
東都大学野球リーグでは、外野手として2年生と3年生の時にベストナインに選出。
五十幡選手が大学4年生の2020年9月10日にプロ志望届を提出し、10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位で指名され、11月16日に契約金7,000万円、年俸1,100万円(推定)で仮契約。
五十幡選手は亡きお母さんとの約束であった『プロ野球選手になる』という夢を叶えました。
五十幡亮汰のまとめ
今回は日ハムの俊足外野手の五十幡亮汰選手について。
小学校3年生の時に腎臓がんによって母親を失ってしまった五十幡選手。
お母さんとの『プロ野球選手になる』という約束を叶えた五十幡選手はこれからが楽しみな選手です。
中学校の時にサニブラウン選手に勝った俊足をいかしてこれからも大活躍してほしいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました☆