前回のリオデジャネイロオリンピックでは銅メダルを獲得した柔道男子81kg級日本代表の永瀬貴規選手
今回はそんな永瀬貴規選手の
・兄弟や家族構成
・永瀬選手は結婚や彼女はいる?
・プロフィールや経歴
などなど、永瀬貴規選手について気になる情報を調べてみました!
さっそくいってみましょう〜☆
目次
永瀬貴規(柔道)の兄弟
永瀬貴規選手のご兄弟について調べてみました!
永瀬選手は3人兄弟の末っ子で、お姉さんとお兄さんがいます。
永瀬選手は6歳の時に兄とともに柔道を始めました。
世界選手権の中量級で2位になった永瀬選手の大叔父にあたる平尾勝司さんが師範を務める養心会に一緒に通っていました。
お兄さんのお名前は永瀬諒(りょう)さんで、永瀬選手の2歳上です。
日本体育大学の時には全国体育系学生柔道体重別選手権で準優勝を果たしていたりと、お兄さんも強い柔道選手でした。
お兄さんは現在、地元の長崎県の高校で教員をされているんだそうです。
現役は引退されているので、もしかしたら生徒に柔道を教えていらっしゃるかもしれませんね!
残念ながらお姉さんに関しての情報はありませんでした。
永瀬選手のお姉さんの情報が入り次第またこちらに追記していきたいと思います!
永瀬貴規(柔道)の家族構成
永瀬貴規選手の家族構成は父・母・姉・兄の5人家族です。
父親の永瀬政司さん、お仕事は長崎税関に勤めています。
税関の職員は国家公務員ですよね!
仕事は安定していますが、転勤の多い職業なんだそうです。
永瀬貴規選手は小学校から高校までを実家のある長崎県で過ごしていますので、父・政司さんは単身赴任で家族と離れて生活をしていたのかもしれません。
父親はとくに柔道と関わりはなかったようです。
母親は永瀬子由利(さゆり)さんで、若い頃はテニスをやっていて中学や高校では全国大会に出場するほどの腕前を持つ選手でした。
子供の運動神経は母親から遺伝すると聞いたことがありますが、永瀬選手もそんな母・子由利さんから運動神経のいい遺伝子を受け継いだのかもしれないですね!
そして母親の子由利さんは、永瀬選手のサポートを熱心にされていました。
永瀬選手が中学生の頃、柔道部がなかったためお母さんが高校に掛け合い出稽古にいかせてもらっていました。
また出稽古に行く際は、片道80分の道のりを車で送迎していました。
高校に入学した永瀬選手は、国内外への遠征が増えていきその遠征に母はすべてについて行っていたそうです!
また、永瀬選手は白米を2合も食べるという大食漢。驚
息子がお腹いっぱい食べれれるようにと、たくさんの食事を用意したりと食事面などのサポートもしっかりされていました。
母・子由利さんのおかげで中学入学時には60kgだった体重は高校で新人戦を迎える頃には81kgに。
中学高校時代の永瀬選手は他のヨーグルトよりも酸味が少なく、筋肉を作るためのタンパク質の豊富なカスピ海ヨーグルトを毎日朝食に出していました。
永瀬選手には『飽きた』と言われましたが、高校卒業まで毎朝カスピ海ヨーグルトを出し続けたそうです。
息子の体を想う母の愛ですね!
母・子由利さんの画像はこちら
永瀬貴規(柔道)は結婚してる?彼女は?
永瀬選手の結婚について調べてみましたが、ご結婚されているという情報は見つけられませんでした。
また彼女についての情報も同じく得られませんでした。
現在はまだ競技に集中をしていらっしゃるのかもしれませんね!
永瀬選手の結婚や彼女さんについてまた何か新しい情報がありましたら追記をしていきたいと思います。
永瀬貴規(柔道)のプロフィール
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【profile】
◆名前◆ 永瀬 貴規 (ながせ たかのり)
◆生年月日◆ 1993年 10月 14日
◆出身◆ 長崎県長崎市
◆血液型◆ A型
◆サイズ◆ 身長181cm
◆階級◆ 男子81kg級
◆所属◆ 旭化成
◆段位◆ 四段
◆組手◆ 右組
◆得意技◆ 内股、足技
永瀬貴規(柔道)の経歴
永瀬選手は当初ソフトボールがやりたかったそうですが、ソフトボールを習っている子供を持つ父母に『土日が大変』と聞いて断念しています。
そして親族から柔道を勧められ、兄の諒さんと柔道を始めました。
最初は親子共々柔道に『興味はなかった』んだそう。
しかし永瀬選手は柔道を始めた早々に素質が開花します。
小学校低学年の柔道の試合は終わるのが早いのですが、試合後も帰らずに会場に残って兄や高学年の試合を飽きることなく見続けていました。
高校生の長崎県大会の試合も録画をして観て、技を覚えていきました。
一生懸命に練習をし、研究熱心でもあった永瀬選手。
当時、厳しい柔道の世界では父母が試合後に子供を叱る場面は珍しくありませんでしたが、永瀬選手のご両親は試合で負けても『一番悔しいのは本人だから』と絶対に叱ることはなかったそうです。
中学校は長崎大学教育学部附属中学校に進学します。
中学校では3年生の時に全国中学校柔道大会の66 kg級に出場しましたが、舞鶴中学3年の竪山将に判定で敗れて5位でした。
高校は長崎日大高校の柔道部監督に『俺と一緒に日本一になろう』と熱心に勧誘され長崎日大高校に進学します。
入学早々、1年生の時に高校選手権の81kg級で優勝し、高校3年生のときにはインターハイで優勝を飾りました。
大学は筑波大学に進学します。
筑波大学は国立大学で偏差値が高いことでも有名です。
永瀬選手の文武両道を成し遂げた秘訣は小学校時代にあります。
永瀬選手の通っていた小学校は国立の長崎大学教育学部附属小学校で、こちらの小学校は男子生徒の1割が毎年、鹿児島県にある名門私立中学校のラ・サール中学校にごうかくをするというレベルの高い小学校なのです。
そのレベルの高い小学校と中学校で、9年間を過ごし、高校では国公立大学進学クラスに所属。
小学校、中学校で熱心に勉強をする環境にいたので、柔道をしながらでも永瀬選手は成績も優秀でした。
筑波大学は親子で『いいな』と思っていた大学だったそうです。
名門私立大学からも入学の誘いもありましたが、最後は永瀬選手自身で筑波大学に進学することを決めました。
大学では1年生の時に全日本ジュニアとアジアジュニアで優勝。
2年生ではユニバーシアードに出場し、個人戦団体戦ともに優勝しました。
またこの年のグランドスラム東京では当時世界ランキング126位だったにもかかわらず5試合オール1本勝ちで優勝。
126位だったランキングは23位まで一気に上がりました。
大学3年生のグランドスラム東京でも前年に引き続き優勝し、大会2連覇を果たします。
大学4年生の時にはワールドマスターズで初優勝。
全日本学生柔道優勝大会では大会8連覇を狙っていた東海大学と決勝で対戦し、勝利をおさめた筑波大学は国公立大学で初めての優勝大学になりました。
この年の8月の世界選手権では81kg級で日本人選手初めての優勝で、前身の階級である78kg級を含めると1995年に故・古賀稔彦さんが優勝して以来20年ぶりのことでした。
大学卒業後の2016年4月から旭化成に所属。
その年に開催されたリオデジャネイロオリンピックでは準決勝で敗れましたが、3位決定戦で勝利し銅メダルを獲得しました。
永瀬選手が今回の東京オリンピックでは1番いい色のメダルが取れることを願っています!
永瀬貴規(柔道)のまとめ
今回は永瀬貴規選手についていろいろと調べてみました!
永瀬選手は勉強もできる文武両道のアスリートでした。
永瀬貴規選手の東京オリンピックでのご活躍を期待しています!
最後までお読みいただきありがとうございました☆